アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
小学校からの英語教育開始論の考察―――いちろう家のメンバーによる事例考察
最近英語教育開始低年齢化論争がなされているようです。即ち小学校からの英語教育開始是か非か、です。

それを検証するのにいちろう家のメンバーをモデルにとって見ましょう。

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(本文とは関係ありません)


いちろうは中学から英語スタートの典型的な従前型モデル。英語が使えるようになったのが35歳からと云う遅い年齢でした。小学校からの英語教育“非”のサンプルです。

対するいちろうの子供じろうは、いちろうの赴任と共に小学校低学年でアメリカに転校。日本の教育はここまでで、後はアメリカ現地校でこちらの教育を受けました。今では学校を卒業しこちらで働いています。日本で英語教育を受けた子供とは違いますが、小学校からの英語教育“是”のサンプルです。

「美しい日本語が書けないのに外国の言葉をやってもダメ」

これは今次の内閣改造で就任した文部大臣の言だそうです。

美しいかどうかは別にして、日本語はまずまず書けるいちろう。当然日本語は書けない、又家庭内会話は日本語ですが、話すのも少々おぼつかないじろう。当然文部大臣の軍配はいちろうに上がりそうですが...

結論は、(美しい)日本語を書けるのと英語を使えるのとは別だと思います。

じろうは英語でのコミュニケーションとなると親のいちろうより格段に優れ、周りからの信頼も得ています。又コミュニティーの人達からも親しくしてもらっています。

一方いちろうは英語のコミュニケーションはたどたどしく、会社でこそ技術的な専門領域の強みでアメリカ人も信頼して接してくれていますが、コミュニティーでの交流は余りありません。

これはやはり小さい頃からの異言語学習の賜物ではないでしょうか?こと言語に関しては年をとってからの習得は相当なハンディになると思います。

「美しい日本語...」云々の件ですが、文部大臣の言わんとすることは、「日本の言葉文化を理解して外国人に応対しないと日本国民の恥だ」と言うことだと思います。

じろうについては、回りのアメリカ人も彼が日本人と言う事を知っています。しかし日本の文化を聞かれた事も無ければ、話し合った様子もありません。何事も自国が世界の中心と考えるアメリカ人。日本の文化の話題を出さずとも、アメリカのスポーツ、音楽、自然、気候、政治、経済と話題は様々です。

日本のことについてはあまり知らないじろうですが、これでもってアメリカ人から怪訝な顔をされた事はありません。相手の文化の尊重もさることながら、相手の現状(自国文化を知らないという事)の尊重と云う事もこちらではコミュニケーションの大きなキーポイントです。

アメリカには自国の文化を捨ててまでアメリカに来る人も沢山います。そういう人たちを迎え入れるアメリカは懐が深いと思います。

自国の文化をスタンダードにしてそれで接するという事は一面よいことではありますが、コミュニケーションと云うことは相互理解で成り立っています。自国文化を知らない事だけをとって、ダメだという事はここアメリカの社会ではありません。

日本の事を知らないじろうですが、アメリカ人の友人を連れて日本にも旅行しました。じろうの方がいちろうよりよっぽど日米の架け橋になっていると思います。これも早くから英語に接したおかげでしょうか。
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