アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
夢をふくらませて「思えば遠くへ来たもんだ」――いちろうの小学校閉校記念誌投稿文にみる牧歌時代(1960年代)の教育現場の気分
前回のエントリー“田舎教師殴打出血事件―――牧歌時代の先生と生徒、親の信頼関係といじめ問題”でいちろうの小学校時代(1960年代)の牧歌的な教育現場の様子をお知らせしました。

それに対し英さんより「今の親の関心は子供のことに集中してきている。これでは、先生も大変だし、もっと子供が大変だ。」とのコメントを頂きました。確かにあまり干渉しすぎると、子供の夢を生かすという教育の根幹が揺らぐかもしれません。

昔は親の干渉の少ない学校生活を送っていました。夢を生かすという面では理想的な環境だったのでしょうか。

以下にあげるものはいちろうが、いちろうの小学校の廃校記念誌(時代の趨勢で田舎の学校は統廃合が進み、いちろうの小学校も廃校になってしまいました)に投稿した文です。

小学校時代の思い出を書け、という命題で投稿したものです。いちろうの小学校時代の教育現場の気分、特に夢を生かすという部分が少し伝わってくると思います。

『夢をふくらませて「思えば遠くに来たもんだ」』

『私はアメリカで生活を始めてかれこれ10年になります。10年前まで私は日本の自動車部品の会社に勤めていましたが、その会社での赴任辞令により40歳過ぎての渡米となりました。その後グリーンカード取得し、米国内転職で現在は別の日系企業に勤めています。

“因果”という言葉がありますが今日こうしてアメリカに長くいるということは、小さい頃の外国に対するかすかな憧れが何らかの形で実を結んだのでしょうか?

我々の小学校時代はまだ外国というものが現実的ではなく、創世記のテレビの海外ホームドラマ(主にアメリカのものだったと思います)か、社会科の教科書等で窺い知る位の事でした。その中で雄大で豊かな外国に対する夢が醸成されたのだと思います。

当時は高度成長時代の黎明期で日本国内でも田舎から国内へと移動がまさに始まろうとしていました。そういう時代背景の中で、子供心に校舎から見えるあの山の向こうに大分があり東京があり、はたまた外国があると思ったものでした。特に我々の頃に小学校が鉄筋の校舎に建て替えられた事もあり、その屋上や時計台の部屋から東のほうの空を仰ぎ見て思いにふけったものでした。

当時は現在の小学校生活のような塾もなければ習い事もない、またスポーツ少年団活動もないのんびりした時代でした。そういう中で外国に対する夢が挫折無しに素直に醸成されたのだと思います。その醸成された夢の実現という目標があったからこそ、その後中学校になって以降の英語の勉強等で頑張ってこられたのだと思います。

教育の目的の一つが夢を伸ばす事にあるとするのならば、私たちは非常に良い時期良い場所で小学校時代を過ごしたものです。今、故郷を離れた遠くにいてもその事を感謝しています。』
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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

コメント
この記事へのコメント
アメリカでは先生が力を持っていて、子供の親からあまり干渉を受けないという話を聞きますが、それがあるべき姿なんでしょうね。日本の場合は、学校の仕組みとか構造的な問題が色々あって、「親が子供を守らないとだめだ」という危機意識が強いと聞きますが。。。
2006/12/27(水) 04:26:25 | URL | ざっく #-[ 編集]
ざっくさん
アメリカは”パワーの源泉”とでも云うべき学校の権威建てがはっきりしていますね。学校での国歌斉唱、国旗掲揚。キリスト教の祈りも行いますよね。又PTA活動、ボランティア活動も中高校生でも内申書のポイントとになりますよね。
先生、学校側が日本よりはるかに力を持っていますね。
2006/12/27(水) 07:02:27 | URL | いちろう #AtOU8eDY[ 編集]
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