アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
いちろうの小学校閉校記念誌投稿文にみる牧歌時代の教育現場の気分―――いじめ問題で生徒に真っ正面から向き合った教師
前回と同じくいちろうの小学校閉校記念誌の中の他の方の投稿を見てみましょう。

昔も今と変わらずいじめの問題はありました。今も多くの先生方は日夜この問題に取り組んでいると思います。当時もこういう先生がいたという事例紹介をさせていただきます。

いじめ問題で生徒に真っ正面から向き合った教師

昭和44年卒業のF.Y.さんの投稿文の一部です。

『私の小学校入学は昭和38年。東京オリンピック開催を目前に控え当時の日本全体が高度経済成長に沸く時代でした。オリンピックを機にテレビが徐々に生活の中に入り始めてはいましたが、それでも当時の子供はランドセルを放り出して山や川と格闘する毎日でした。

(中略)

自由奔放な小学校生活を象徴するように、実は一度だけ弱い物いじめの仲間に入った事があります。事件が発覚したその日、担任のK先生に加害者全員が集められました。少々後ろめたい気持ちがあったのでK先生に一喝されると思いきや予想に反し、ひとり一人に静かに事件をどう思うか真剣に質されました。「自分自身の言葉で説明するまでは何時間も待つ」と言われ、数時間も考え込みました。簡単に謝ることよりも辛かった苦悩は今でも鮮明に思い出されます。

教育の崩壊危機が叫ばれる今日ですが、いざという時に生徒ひとり一人に真っ正面から向き合ってくれる恩師のおかげで、その後の人生を誤らなかったのではないかと感謝しています。』


いじめとそれにからむ自殺は現在非常に大きな社会的な問題になっています。その対応も喧しく、①子供たちへいじめはいけないと呼びかけをしよう、②いじめられる子供達も強くなるよう鍛えなければダメだ、強化しよう、③いじめっ子は排除しよう、等々あるようです。

ハト派的な処置からタカ派的な処置まで様々です。個人的には“ハト派的な処置では生ぬるく効果は少ない。タカ派的に処置をしなければ効果はない”とも思いますが、教育という観点に立つとそうドラスティックにも出来ないだろうと思います。更なる今後の議論が必要だろうと思います。

しかしどの方法を取ろうとも、このF.Y.さんの投稿の先生のように生徒と正面から向き合うという姿勢が古今東西問わず不可欠だと思います。





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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

コメント
この記事へのコメント
どんな時代でもいじめは少なからずあるのだと思いますが、今は教師や親がいじめを「悪いこと」としてきちんと教えられないのが問題を助長している気がします。子供の前に立った時に、善悪を毅然と教えられる大人でいたいものです。
2007/01/08(月) 13:01:15 | URL | ざっく #-[ 編集]
ざっくさん
昔の我々の子供の頃の大人、先生は戦後の価値観の大変遷の時代に学校時代もしくは教師、社会人時代を迎えていたと思いますが、それにしてはこういう問題に対する姿勢のブレというものが少なかったような気がします。
2007/01/08(月) 15:07:46 | URL | いちろう #AtOU8eDY[ 編集]
子供の想像力の貧困
弱いもの、虐げられているものが、どう感じているのかと言う事への想像力を通しての理解がなければ、社会的な正義が生まれません。

子供たちが、他の子の身になって考える想像力がなければ、この問題の解決は難しいと思います。結果としてうまれた正義、法での管理、善悪を示すだけでは残念ながら、根本の解決はないと、悲観しています。

また、いじめをしなければ、自己の存在証明ができないような子供がふえているなら、これは、教育の問題ではなく、社会病理の問題です。文部科学省ー学校ーが解決できるような次元での問題ではないと
私は思います。



2007/01/10(水) 08:24:09 | URL | calperch #-[ 編集]
Calperchさん
最近の日本の学校では、子供対応よりも給食費を払わないとか親への対応のほうが大変なんだそうですね。
まず親と教師がベクトルを合わせないと、一本芯の通った教育は出来ないと思います。
2007/01/10(水) 13:46:33 | URL | いちろう #AtOU8eDY[ 編集]
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