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銃器容認論、メディア批判、宗教関連意見、銃規制論、精神障害者、人種によるヘイトクライム防止から野球ボールでの防衛論まで―――新聞のバージニアテック関連投書に見るアメリカ人の意見の多様性
バージニアテックでの銃乱射事件後、新聞の投書欄(日曜日のみの掲載のようです)にも様々な意見が寄せられています。新聞の投書欄は選定する新聞編集者の意向があるとはいえ社会の意見の縮図。これを読み取る事でその社会の意見の傾向が掴めます。

銃の悲惨な事件の後で、さぞかし銃保持への怒りの意見が多いと思いきやここはアメリカ。銃器容認から野球ボールでの防衛論まで様々な意見があります。


「学生、先生が銃を保持していれば惨事は防げた」

The Courier Journal紙の4月20日と4月27日の両日曜日の投書欄を見てみました。本バージニアテック関連の投書で計17件意見が寄せられていました。それをまとめてみました。

銃器容認論 4件/17件中(23%)
メディア批判 3件/17件中(18%)
宗教関連意見 2件/17件中(12%)
銃規制論 2件/17件中(12%)
精神障害者について 2件/17件中(12%)
その他 4件/17件中(23%)

これをもう少し各意見のエッセンスを見てみましょう。

◎銃器容認論 4件/17件中(23%)

今回の事件の経過を報道した記事を見ると、犯人はいくつかの教室に入り込み銃を乱射しながら移動して行ったようです。各教室の生徒や先生は異変に気付き、教室のドアにバリケードをして犯人が入って来れないようにしたようです。しかし犯人はドアをこじ開けて銃を乱射。それで中にいた人達が犠牲になったと生存者は語っています。

バージニアテックも多くの大学と同じく学校内銃器禁止ルールーがあります。投稿者は「もしこのルールが無ければ、教室内の人達も銃で反撃。ここまで被害は大きくならなかったろう」というものです。

「いや、それ以前に各教室の生徒や先生が銃を持っていれば、今回の犯行の動機も失せてしまい犯行自体も起こらなかっただろう」という意見もありました。

平和な日本(長崎市長銃撃事件や暴力団員発砲立てこもり事件を見ると最近はそうはいえなくなりましたが)から見ると乱暴に思える論理ですが、開拓や移民の歴史を振り返り銃の存在という現実を振り返ると、四分の一近くの人が支持するのも理由があるのかなという気がします。

◎メディア批判 3件/17件中(18%)

これは犯人がテレビ局に送ったビデオ等を公開した事による悪影響を、当該テレビ局に対し苦情を述べた投書です。

◎宗教関連意見 2件/17件中(12%)

これは「現在教育が世俗主義に陥り精神宗教教育がなされていないために起こった事件である」という意見と、「イスラム教の人達は過去似たような事件でヘイトクライムの被害にあったが、イスラム教は平和な宗教でありその再現はあってはならない」という意見です。

◎銃規制論 2件/17件中(12%)

これは「アメリカのスポーツイベントや学生のパーティで、皆銃を携帯したら混乱するでしょう。よって規制すべきだ」という銃の携帯規制を投書したものです。銃の保持の規制まで論じていませんので、これもアメリカらしい意見といえば意見です。アメリカで銃規制論が出るものの多くはこの携帯規制を論じたものが多いようです。

又もう一つは‘Gun before God’という題で「ロックギタリストが発言した“我々は神の下で武装する権利がある”では世界が混乱してしまう。もしそうであればイランでの核武装も認めるのか?」という意見です。

◎精神障害者について 2件/17件中(12%)

これは「精神異常者、障害者の救済に全力を尽くさないと大変な事になる」といういわば啓蒙意見です。

人種問題の振り子と野球ボール防衛論

◎その他 4件/17件中(23%)

これはアメリカらしい人種共存精神を説いたもので「韓国系の人が今回の事件で罪悪感を感じる事は全く必要ない」という投書が掲載されていました。今回の事件により人種のヘイトクライムに向かうのは多くの人種が共存するアメリカでは許されない事だというサインです。

アメリカではこういう事件の場合、必ずこうして人種問題に関する’振り子のゆれ戻し’が働きます(勿論’振り子の揺れ’もありますが)。長い間人種問題で苦しんできたアメリカ社会の自浄作用の一つでしょうか。

又、これは日本ではおそらく出てこない(掲載されない)投書だと思いますが‘Time to play hardball’というものがあります。「教室に入る学生は各自一個野球のボールを持ちましょう。今回の様な事件の素振りがあったら、皆でそのボールを投げつけて防衛しましょう」という冗談とも真面目ともつかない内容でした。均一社会日本であれば「不謹慎な!」とひんしゅくを買う投書内容でしょうか。



個人にしろ社会にしろ、ある事件が起こった時もですが、その後の言動にその特性が表れるといわれています。今回の惨事は大変な事ですが、その後のこの投書を見ると日本の均一社会では想像出来ないアメリカの意見の多様性が見て取れます。








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コメント
この記事へのコメント
日本では・・・
大阪の池田小事件以降、部外者が学校に侵入出来ないような措置がとられるようになりましたが(特に小学校)、銃を持った学生に対する措置となると簡単ではありませんね。同じ事が何度も起きているのですから何か手を打たないとまた起きるでしょう。

部外者が起こす事件には関係ありませんが、日本の学校は救急車を呼ぼうとせず何人も生徒が命を落としているというTVを見ました。現場の教師の判断ではなく校長の判断なのだそうです。一刻を争う事態でも。。違う意味で、日本の学校も危険ではあります。
2007/05/04(金) 23:27:20 | URL | 岳人 #-[ 編集]
少し前のTVの特集番組で、長年内戦下にあった国で、戦後復興の最大のハードルは武器放棄であることをとりあげていました。武器が生活の一部になっており、それを手放すことに対する不安をどう克服するかが難しいとのことでした。それまでの内戦による過酷な体験から、精神的な一種のトラウマが生じており、それを和らげてやらないと、自分から武器を放棄しないそうです。アメリカも類似の構図かもしれませんね。
2007/05/04(金) 23:49:17 | URL | 英さん #-[ 編集]
暴論覚悟で
こんにちは、いちろうさん

わたしの、ブログでものべましたが、私には、銃とこのような事件というものが、アメリカ民主主義の仕組みのなかにに可能性として、内包されていると考えた方がいいようなきがしています。このような事件はまた起きますし、そういう社会と理解しなくてはならないのではないかと思います。やはり、人権、自由と公共の安全というのは、相容れないものがあり、どうしても、網の目からこぼれてしまうVTのような事件がおきることがあると思います。いわば、これは民主主義の高い代償なのではないかと感じているしだいです。

8000万丁の銃器があり、これが憲法で保障された権利であり、そこに、怯えたり、精神的な障害ともったひとがいれば、事件は起きます。

したがって、このような事件を出来るだけ、なくするという努力も大切ですが、もうひとつは、やはり、個人の自由と権利があるかぎりは、事故は起きるという認識が必要ではないかと思っています。
2007/05/05(土) 03:20:41 | URL | calperch #-[ 編集]
岳人さん
日本でも学校関係は不安な状態ですね。被害の大小にかかわらず予測できないということが不安のもとなんでしょうね。

多少暴論でも、こちらのように「自分達の身は自分達で守ろう」という論理が出てくると少しは胸のつかえも下りるのですが、日本のように(救急車も呼ばないというような)事なかれ主義に偏ると閉塞感に襲われますね。
2007/05/05(土) 11:16:17 | URL | いちろう #mWglXfnw[ 編集]
英さん
日本の明治維新、戦前戦後のように価値観が継続しない社会と違い、アメリカは連綿とイギリスの植民地時代、開拓時代からの価値観が継続しています。その国で日本の刀狩のような付け焼刃的な所作事は出来ないでしょうね。

内戦にあった国とは違いアメリカはこの価値観で民主主義を守ってきた、という自負もあるでしょうし...
2007/05/05(土) 11:24:52 | URL | いちろう #AtOU8eDY[ 編集]
Calperchさん
この事件と同じ頃、日本で長崎市長が襲撃される事件がありました。

あるラジオ局で両方の事件を解説していましたが、銃規制派にとっては日本をロールモデルにしようとしていたのに、日本で襲撃事件しかも選挙中の候補者を殺害するという民主主義にあるまじき事件にすこし旗色が悪かったです。

銃器の原則としてない日本が民主主義度が高いかというとそうでもないですし、アメリカのように長い連綿とした価値観で今日の民主主義がある国では、銃器一掃は難しいでしょうね。
2007/05/05(土) 11:38:40 | URL | いちろう #AtOU8eDY[ 編集]
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