アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
発音、スピーキングについての後日考---サンローランとイチロー選手のメッセージの伝わり方
先日の英語での発音、スピーキングの事で、日本人がこだわりを持ちすぎる件について、本日考えさせられるニュースに遭遇しました。

フランス訛り英語でメッセージを発信するサンローラン

本日朝の通勤途上に聞いたラジオのニュースで、フランスのデザイナーであるイブ.サンローランが死亡したと報じていました。そのニュース中に、サンローランの生前中のインタビューらしき録音を流していました。

このインタビューは、フランス訛りのひどい英語で、英語ネイティブでない当方は、殆ど聞き取れませんでした。ネイティブのインディアナやケンタッキーのラジオ聴取者も、何割かは聞き取れなかったのではないかと思います。

それでも、ラジオで堂々とこの語りを流す背景には、アメリカ人が如何に本人の声で本人の考えを伝える事に重きを置いているか、という事があります。以心伝心という事の無い言語文化のアメリカ(英語圏)。メッセージというのは、ひどい発音でも、如何に自分の肉声で伝えるか、というのがポイントのようです。

これは、我々の周りでもある事象です。当方の会社では、英語が片言しか離せない日本からの出張者が、あるミーティングでアメリカ人にお礼を表明する事があります。この時に、立派な内容の挨拶を通訳に言ってもらうよりも、片言でも”Thank you.”や”Very good.”を本人の口からいう方が、数倍アメリカ人に受けます。拍手喝采となるでしょう。

ましてやサンローランは多大な業績を残した人。訛りのひどい英語でも、人々は本人の口から発せられるメッセージに固唾を呑んでいることでしょう。

ここには日本人の陥りやすい、英語の発音やネイティブ並のスピーキングへの、こだわりによる気後れなどというものは一切ありません。

未だに通訳を介するイチロー選手

それに関して思い出したのが、野球のイチロー選手へのアメリカ人の辛口批評です。昨年の夏でした。同じラジオのスポーツ担当のアナウンサーが、イチロー選手が未だに通訳を介している事に批判をしていました。

曰く、「(意訳)イチロー選手はアメリカに来て7年(昨年時点)。立派な成績を残して7年連続でオールスターにも出ています。しかし未だに英語で意思表示をしようとしない。ただの選手ではないんだ!球界を代表する選手で、多くのファンから選ばれた選手だ!」

「多くのファンにメッセージを伝える必要があるのではないのか?アメリカに来て2~3年というのならしょうがない。しかし7年だ!立派なスピーチをしろというのではない。簡単でも英語でメッセージを伝えるべきではないか?それが大リーグでプレーしている者の勤めではないか!」

アメリカは業績をポジティブに称える社会で、個別の選手に対してあまり辛口批評になる事は無いのですが、このアナウンサーはよっぽど日ごろの思いがたまっていたのでしょう。これは、口に出さない甘口(?)批評の一般アメリカ人も同じ考えが根底にあるのでしょう。

イチロー選手が英語でメッセージを発しない理由はわかりませんが、イチロー選手の野球に関するすばらしい取り組み姿勢やメッセージも、英語を一言も解しないと、アメリカでは全く理解されません。

アメリカでのイチロー選手の評価が、日本での評価程高くない(というより、ここらのアメリカ人は殆ど知られていない)のは、こういうところにも原因があるのでしょう。

英語の発音、スピーキングについて、又は、メッセージの伝達について、考えさせられるニュース二件でした。




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