アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
アメリカのスポーツ応援----個人社会の、組織への帰属意識
北京オリンピックも終わりましたが、日本ではまだ期待に副えなかった競技への、風当たりや批判が続いているようです。

何事も世界一を任じているアメリカ。金メダル獲得競争でも中国に負けましたし、陸上花形の短距離、絶対王座を誇っていた女子ソフトも負けてしまいました。何かにつけて、星条旗やアメリカ国家の流れるアメリカは、人々の国への意識も大変な物があります。このオリンピックの結果に対して、さぞかし風当たりや批判が渦巻いているのかと思いきや、そうでもありません。

手元に、ソフトボールが日本に負けた時の新聞がありますが、淡々と各選手のコメント、今までのオリンピックの戦跡、日本チームの紹介等を書いています。どこにも、落胆や批判(選手選考、采配)はありません。
個人社会の、組織への帰属意識

アメリカでは、ひいきへのチームの愛着状態は、日本とは少し違うようです。

日本では、組織、団体への帰属意識というものがあり、その中での愛着というものが出てきます。国内のスポーツチームの多くが企業名を冠しているのがその良い例です。おらが会社、企業、団体のチームを応援しようというものです。最近でこそ、欧米的スポーツ文化の導入により地域名を冠したクラブ制度が現れてきましたが、まだまだ、この組織への帰属感というのに基づいたチームへの愛着状態というのは、相当残っています。

オリンピック等の代表チーム、選手への思い入れも、これが作用しています。やおろず(八百万)の神代の昔から続く万世一系の(という、アナクロな人は最近はいないと思いますが、どの道その遺伝子を次いでいると思います)わが国。その国民として、当然我がチームを熱烈に応援する、というものです。

ところが、個の国アメリカではこの帰属感が希薄です。企業名を冠したチームはなく全て地域名のチームです。ファミリーやコミュニティが価値観の先頭に来る社会アメリカ。当然地元のチームを応援します。

しかしそれも、個人が際立つアメリカ社会。応援する地元チームに対しても、大部分の人はどこか醒めた感じです。何もかにも思い入れてチームを応援する日本とは少し違います。選手や監督の移籍やトレードでも、契約(の満了や打ち切り)で選手が出入りする、それだけの事。新しく入った選手を新たに応援するだけの事、とういう考えのようです。

これが、代表チーム、選手でも同じ事です。なにより、サッカー等の団体競技の(個人競技でも同じでしょうか?)選手は、国の協会と契約を結び代表チームに所属となります。日本の様に(細かい補償規定等はあるのでしょうが)、栄誉の選出で代表のために頑張る、というのとは一線を画しています。

当然応援する方も、日本ほどは思い入れが強くありません。国のために頑張れとは当然思うでしょうが、戦い終わればそれまでの事。応援する方も又、すぐ個の生活に早戻りです。代表チームが期待に副えなかったのは、選手監督のマター。それだけの事。個人が切歯扼腕する事ではない、という感じです。

”アメリカ人として...”

余談ですが、これが現れているのが、こちらでは「アメリカ人として)...」というフレーズを全くアメリカ人から聞かないことです。事ある毎に国旗や国歌が現れる国ですが...

日本では、「日本人として恥ずかしい」や「日本人としてこう思う」等のフレーズが良く聞こえてきます。ところがこちらアメリカでは一切聞こえてきません。世界各国から集まって出来たアメリカ。国家、アメリカ人の定義が、まだ(というか、永遠に)確立していないのかもしれません。海外での素行不良や国内での犯罪。アメリカ人が関与しても、こちらの人から「アメリカ人として恥ずかしい」なるフレーズは聞こえてきません。

これもこの、帰属意識の差からきているのでしょうか。



人々の関心は、すでに大学やプロのフットボールに移っています。明日は、地元のルイビル大学とケンタッキー大学の試合があります。組織へのしがらみの無い地元のチームの応援。これがアメリカ人の完成にぴったり来るのでしょうか大変な人気です。オリンピックの事は完全に忘れ去られています。




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