アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
ガラパゴス化した日本企業のマネジメント---豊田、Toyota社長のLarry Kingショー出席対応にみる日本とアメリカの責任論の違い
全米を揺るがした豊田、Toyota社長の議会公聴会出席の当夜、同氏はアメリカの有名なLarry Kingショーに出席して、インタビューを受けました。多くのアメリカ国民に不安を取り除いてもらおうという、豊田社長の意向が働いたのでしょうか。

その内容を入手してみてみると、Larry Kingの質問と、豊田社長の回答がなかなか噛み合っていません。特に今回のリコールの責任問題の所で、その乖離が顕著に現れてきています。

これは責任という事に対する、日本とアメリカの違いから来ているのではないかと思います。即ち、“個”の責任を常に考えるアメリカと、集団の責任を考える日本との違いです。今回はそれを見てみましょう。

Larry Kingショーでの質疑応答

Larry Kingショーでの質疑応答の、リコールの責任問題の関連部分をピックアップしたものが下記---意訳はいちろう—-です。

1. Larry Kingの質問

〔Larry King〕
Who -- when we look back, Mr. Toyoda, who was at fault? (今回の件を振り返ってみて、誰に責任がありますか?)
Where did this start? (どの部署が原因元ですか?)
Did -- was it the engineers? (技術部門ですか?)
Who made the mistake? (誰がミスしたのでしょうか?)
In retrospect, where is the blame? (振り返って、どこが責任元でしょうか?)

2. 豊田社長の回答

〔TOYODA (through translator):〕
We, at Toyota, are trying very hard to make a good product -- good vehicles. When you think about what caused this, there may be many factors. When we look back upon what we have been doing, we always said that to make a vehicle means to make people. (我々Toyotaは良い製品、良い車を作るのに努力しています。今回何が原因かと考えると、多くのファクターがあります。我々の事を反省してみると、車を作るという事は人を育てるという事を常に言いました。)

This has been said for the past 70 years.(これは70年間言われてきた事です。)

And in that regard, perhaps our business grew much faster, outpaced the development of our human resources. That's one factor.(その点でみると、多分我々の成長が速過ぎた事があり、人的資源が追いつかなかったのが一つのファクターだったと思います。)

And another factor is that Toyota is a manufacturing company, but sometimes people said we are manufacturing money. And we must say there may have been a factor or that element within our organization.(もう一つのファクターは、Toyotaは物をつくる会社にもかかわらず、お金を稼ぐ会社になっていたかも知れないという事です。これがもう一つのファクター若しくは、組織を無視した要素になっていた事です。)

Since I became a president last year in July, I have been sending the messages to all our employees to make better vehicles so that our customers would be very happy to ride our vehicles.(昨年私が社長に就任して依頼、私は良い車作りが顧客の信頼を勝ち取る事だというメッセージを送ってきています。)

And we would like to maintain this. We really want to go back to this very basics.(我々はこれを続けたいと思っています。この基本に返りたいと思っています。)


Larryと豊田社長の質疑応答を注意深くみてみると、“個”の責任を常に考えるアメリカと、集団の責任を考える日本との違いがよく出ています。

即ち、Larryの「誰に責任あるのか?」、「誰がミスしたのか?」、「どの部署が原因元ですか?」という、“個”の責任を問うストレートな質問に対して、豊田社長は、「良い車を作るのに努力しています。」、「多くのファクターがあります。」、「多分我々の成長が速過ぎた事があり....」、「Toyotaは物をつくる会社にもかかわらず、お金を稼ぐ会社になっていたかも知れない。」等、集団の責任に言及したマクロな回答に終始しています。

これは、全米放送のライブ番組に出演しての受け答えですので、緊張もあり答えがずれた面もあると思います。又、リコールという灰色の世界---リコールではもう一つ統計学が要素に入ってきます。即ちただ単に不良品という判断だけではなく、どれくらいの確率で発生するか、です---では、てきぱき応えにくいということもありますし、企業経営者としてはマクロの視点での話しをしなければならない事もあり、ぼんやりした話しにしたかったという事もあるのでしょう。

しかし、それを差し引いても、Larryの明確な問いに対して、すれ違いになっている感は否めません。


世界基準の責任論

このLarry Kingの質問はいかにもアメリカ的です。いえ、これが世界基準かもしれません。組織というのは、誰がどこを受け持ち、どういう責任と権限で組織運営をし業務遂行をするのかハッキリ決まっています。通常の企業ではJob Descriptionにそれがきちんと明示されています。Larryの質問は、その社会ならではの責任論の質問です。

アメリカでは、我々の通常の業務でもこれに関する事はあります。普通の製造現場の品質不良でも、その原因対策書を書く時に、その不良発生した時の作業者は誰で、どう云う状況で不良を起こしたか?対策として、Tarainingと称して教育して、記録--こちらでは”Sign up“といいますが--をとったかがポイントになります。かなり、個人責任を問います。

一般社会の犯罪でもこの考えが大きく出ます。未成年者の犯罪では、名前年齢顔写真付で新聞やテレビで公表されます。社会のルールは何か?それを守る責任はどうあらねばならぬか?それを破った者は当然個人の責任として、その責めを負うという考えが強くあります。その未成年の犯人がある学校の生徒学生としても、学校の責任が問われる事はありませんし、校長が謝罪する事も、辞任する事もありません。集団の責任には全くと言っていいほど言及しません。

日本の責任論

ところが日本社会では、どちらかというと集団の責任を前面----グローバルなマネジメント手法が広まっていますので、個人責任に焦点を当てる手法もありますが----に押し出します。豊田社長の回答がそれを物語っています。今回のリコールも、各組織や個人別の職務責任はあるかもしれないが、会社全体としてまずかったのではなかろうか?というものです。Larryの非常に明確な質問にも、言葉を尽くしてマクロの話しに持っていっています。

日本では、製造現場の品質不良でも、個人としての責任は分かるが職場全体としての仕組みはどうだったのか?誰が作業しても不良が防げる仕組みになっていたのか?を強く問い、歯止めをかけようとします。

又、一般社会での犯罪も、未成年者は名前や写真の公表は全くありませんし、刑罰もかなり軽減されるようです。個人の責任より、その犯罪の発生した社会背景がどうだったのか?が問われ、個人の責任より社会の責任を議論する風潮になることが多々あります。学校の生徒学生であれば大変な騒ぎです。校長の謝罪会見に始まって、関係者の辞任騒ぎになるでしょう。集団の責任を問われる社会構造となっています。

日本では、この集団責任志向が各方面に影響を及ぼします。今回、豊田社長はToyotaの御曹司で昨年就任したばかりなので、責任を取って辞任という世論はありませんでしたが、これが就任して数年経っていたサラリーマン社長であれば、辞任の騒ぎになっていたでしょう。いわゆる「世間をお騒がせしました」辞任です。この形態も、集団の責任追及志向の強い日本ならではのものです。

又、前回挙げた謝罪もこの集団志向に起因しています。厳密に個別責任を分析し、明らかにしてある部署の責任をハッキリさせれば、社長が辞任したり謝罪したりする代物ではないのは明白です。

噛み合わない説明

日本では今まで、あまり“個”の責任は問わず、集団の責任ということにスポットを当てて企業管理を行ってきました。即ち、誰が作業しても不良発生を防げる仕組み作りという事であり、だれが業務をしても遂行できる組織つくりです。これが世界に冠たる日本的経営の原点になっており、優秀な日本製品席捲の原動力になったのは間違いないでしょう。

この“進化”した考えも、今回の様に一旦リコールという不良を出し、全世界への明確な説明が必要という事態になると、かなり噛み合わないガラパゴス化された考え方という事になるのかもしれません。なにしろ、説明先はこんなに“進化“した社会ではありません。このLarry Kingショーに先立つ議会公聴会でも、豊田社長の証言中、“Yes? No?”と議員から苛立ちの催促が飛んできたというのも頷けます。Larryもきっとそんな心持だったでしょう。



今回Larry Kingの事をLarryと気安く呼んでしまいましたが、これには訳があります。当方がアメリカに来た当初の品質保証の責任者がLarry某でした。彼とは友人でもあり、Larryと呼んでいたので、名前に懐かしさがあります。その彼は、このアメリカの個人責任の考え方を前面に出して、ビシビシと個人や部署の責任追及をし、品質不良の解決を行っていました。我々日本人が回りから見るとはらはらする位でした。それ以来、このアメリカの“個”の責任と、日本の集団の責任との違いには、考えさせられ続けています。

 

 





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