アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
豊田、Toyota社長のアメリカでの涙----日本とアメリカの、ビジネスで「泣く」事の意味合いの違い
豊田、Toyota社長が、リコール問題でアメリカ議会の公聴会に出席した時と、その後のアメリカToyotaの集会に参加した時に、涙を見せた事がニュースになっていました。

アメリカでは、ビジネス面で公衆の面前で「泣く」ということは滅多に無く、いろんなメディアでも今回の豊田社長の泣きはネガティブに捉えられていました。この「泣く」という事は、言い訳や哀願を表し、且つ、Toyotaという会社の行く末を危惧させるメッセージに受け取られます。これをすこし解説してみたいと思います。

Crying management(クライング マネジメント)

アメリカでの「泣く」という言葉が出てくる情景を紹介しましょう。これは最近当方の職場であった実話です。当方のある職場のアメリカ人責任者に、その上司がやや冗談っぽく指示を与えていました。

上司 John--------「Joe, 君のNo1ラインの新しい生産目標は、一日当たり3,000個だな!」
責任者 Joe--------「待ってくれ、John。それはいくらなんでも出来ないよ。不可能だ」
上司 John--------「Joe,お前の所はいつも2,500個じゃないか。Nickのグループは、いつも3,000個達 成しているぞ(ややハッタリ気味に)!」
責任者 Joe--------「いや、いくらなんでもそれは無いよ。俺のところは、優秀な人間もいなくて、又、仕事の初めに、いろいろ雑用があるじゃないか。それで生産が落ちるんだ。そんな事も理解してくれずに、勘弁してくれよ。頼むよ!」
上司 John--------「(机からティッシュペーパーを出し、さあこれでお前に涙を拭けとばかりに)Crying managementだな」


これは、日本でいうところの「泣きが入る」という状態でしょうか。よくビジネス現場ではある話です。これは実際に涙を見せて泣くわけではありませんが、”Crying”や”Whining”と言われています。グチグチと出来ない理由を述べ立て言い訳がましい事を言い、最後には哀願にも似た形で要求を回避します。こういうマネジメントのやり方に対しては、総称して“Crying management”と呼ばれ、揶揄の対象となります。

”Whining”の方は、音感からしてももっと泣きが入っているように受け取られています。これは“ワイニング”と発音し、なんだか泣いている時の音になります。なにか言い訳を言おうとすると、相手から“ワインワイン”と揶揄されると、本当に泣いているような感じになるのですから不思議なものです。

アメリカでは、実際に涙を見せるという事は、こういう出来ない理由を言う言い訳や、哀願の要素が混じった「泣き」という風にとられます。

“Good Job”の世界、前向きの世界所以でしょうか。仕事が出来そうに無くても、まず明るい顔をして前向きの姿勢を示しチャレンジするという---その代わりできない時の言い訳も沢山出てきますが---姿勢です。豊田社長のケースも、涙を見せた事で言い訳や哀願を連想したアメリカ人も多かったでしょう。

感情移入の泣き

それに対して、日本ではこう言うでしょう。「いやそうではなくて、豊田社長は、公聴会では事故で無くなった方をおもんばかり、且つ、アメリカToyota社での集会ではアメリカToyotaの社員との一体感で感極まって泣いたんだ」と。

日本では、かなり以前に証券会社の倒産時に、社長が記者会見で社員の事をおもんばかって号泣した事がありました。日本では、これは演技にしろ何にしろポジティブに捉えられています。

アメリカでは、この感極まるという感情移入ともいうべきものはあまりありません。自分の職責はあくまで契約で任命されており、会社や従業員に対してはそれ以上でもそれ以下でもない、という契約社会の“気分”が働くのでしょうか。あまり感情移入というものははありません。

豊田社長がToyotaの集会で、「私は一人ではなかった」という連帯感を感じて感涙したとありました。しかし、これもアメリカ的に---うがって---反応すると、「社長は社長として任命されておりその職務を果たす人は、ただ一人社長しかいない。一介の従業員に連帯を求められてもサポート出来ない相談であり、社長の職務を果たしてもらうしかない」、というドライな考えになるでしょうか。

アメリカではこの連帯感を表すのには、”Team work”という言葉を使うくらいです。日本の様に連帯感、一体感、助け合い、金太郎飴、家族的経営、等々多様な用語はありません。かように、職務は契約で決められており、それ以上でもそれ以下でもないという気分が充満しています。

アメリカでも、感極まって泣くという事はあります。これは、”Emotional expression”と呼んでいますが、これは身内が亡くなったり、不幸があったりした時に表出したり、この不幸以外では、政治家が不祥事で辞任する時、ビジネス面でも経営者が大不祥事で、意図せぬ退任を迫られ辞める時位---これもアメリカでは数十億円の退職手当を貰いいい身分で退職するので、当てはまらない場合が多いですが---でしょうか。

これも、通常のビジネスの場では、特にこれから陣頭指揮で大きな組織を引っ張っていかねばならない企業のトップが見せるものではありません。

アメリカ人の豊田社長の涙の受け取め方

こうした背景から、今回の豊田社長の涙をアメリカから見ると、上記のような職場責任者Joeの様な、言い訳や哀願の入ったCrying managementと受け取られる可能性があり、議会担当者に、リコールの諸般の対策は本当に可能なのだろうかと疑心暗鬼にさせたのかもしれません。

又、アメリカToyotaの社員にも、会社の行く末が心配になってきたEmotional expressionではないのかと猜疑心を起こさせ、会社は本当に立ち直るのだろうかという不安なメッセージを伝えたという可能性もあります。

かように、アメリカではビジネスの場での涙は、日本とは違い同情される事はなく、逆に職責執行面で大丈夫か?と見られます。



今回の豊田社長。公聴会は無理としても、Toyotaの集会にはカウボーイハットでもかぶって、涙も見せず明るく大きな声で、”We shall overcome…”や”…challenge…”それに”…go for …..”----いずれもアメリカ人の好きな言葉です----と言ったならば、アメリカ人も安心したでしょうに。





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コメント
この記事へのコメント
こちらでは、泣く=「降参」「白旗」ですから、相手も瞬時に慰めに必死になるというか、それ以上は弱いものいじめになる、という感じで「弱者」の烙印をポンっと押されてしまう感じがします。

でも、元気イッパイに今後のことはまかせてください!とやったら今度は日本のマスコミが総攻撃しそうでインターネット時代は大変(><)…それでも、マスコミ熱はすぐ冷めますし、質問している人たちへ、元気と希望を前面に出して見せられたらよかったな、と思っています。相手まで届いてこそ、のメッセージですから… & Kaizen の会社なんですもん。
2010/03/11(木) 08:50:47 | URL | うろこ #-[ 編集]
Re: タイトルなし
うろこさん、今晩は。

こちらは、”個”の世界で、特にリーダーはリーダーシップを期待される以外何者でもない存在である、という意識が強いですね。泣き叫ぶ一般大衆とは違い、彼らを強力に引っ張って行くというのが、リーダーの務めであるという認識ですね。

そんな認識で今回の豊田社長を見ると、かなり違和感を感じるようですね、アメリカ人は。
2010/03/12(金) 14:16:41 | URL | いちろう #-[ 編集]
ジェントルマンシップ
直近の得か損かという戦術部分では、まさにご意見の通りだと思います。

しかし、豊田社長がその発言なりBody Languageを通して一貫して示したことは「賢く正直、堂々として礼儀正しい」姿勢ではなかったでしょうか?《念のため、私はトヨタ関係者では有りません》

アメリカ人にも、彼の行動のベースに有る規範は鬼気迫るものが有った様に感じます。それは、公聴会以降の議員達のコメントや、新聞社説の論調に現れています。これらエリート層、すなわちマクロな部分で世論を形成する人達には、豊田社長流ではあったかもしれませんが、明確に意図が伝わったのは明らかだと思います。

加えて、米カリフォルニア州で起きた「暴走」騒ぎ、その後のNYのプリウスの事故。いずれもヤラセの可能性が高いと報じられていますが、これらのことは、豊田社長のジェントルマンシップをさらに際立たせたとさえ感じます。

今回のリコール問題は結論として、トヨタの売り上げが一時的に抑えられて、Big 3に一息つける猶予を与えるでしょう。そして、トヨタが支払う莫大な訴訟費用でアメリカに追加のお金が落ちることになるでしょう。

またトヨタは、今回のことを教訓に、今まで以上に 信頼性の高い車を作ることに精励するなら(日本の多くの製造業がそうしてきた様に)、長期的にはむしろ雨降って地固まる機会になるでしょう。

でも、私達に残ったなによりも大きな財産は、トヨタの社長がジェントルマンシップを、今回議会という公の場で示し、日米を中心に、多くの人達にそれが伝わったという点だと私は思います。

(蛇足ですが、日本人のcharacterには、センチメンタリズムが色濃く含まれいます。それを愛せるかどうかは個人差の有ることです。それを抑圧しようとした結果、人格的に卑しい行動に陥るくらいなら、それは本末転倒です。)
2010/03/21(日) 15:34:54 | URL | main #-[ 編集]
Re: ジェントルマンシップ
mainさん、コメントありがとうございます。

アメリカ中西部にいて、ビジネスやコミュニティでアメリカ人に接触している当方の、コミュニケーションに関する受け取り方は少し違います。

今朝のラジオの事です。オバマ大統領のHealth Care法案の審議が大詰めを迎えています。それに対する賛成、反対の意見を求める聴取者参加番組がありました。電話で賛成、反対を聞くものです。これには、賛成者も反対者も言葉を尽くして自分の意見を主張していました。

これは一般的に考えると、弱者救済の意味合いがありますので、日本的には、反対者としては心情的に強く反対しにくいものです。又、同じく(日本的には)賛成者も情に訴えてなんとかしようとしがちです。

しかしこちらアメリカでは、賛成者も反対者も日本人からみると驚くほど平静に、自分の意見を手を変え品を変え、且つ数字を挙げて訴えていました。反対者も賛成者も怯むことなく延々と自説を述べていました。

Low Context社会のアメリカ。しかもいろいろな価値観の混在する社会です。相手の言った事を斟酌するとか、言外の理をつかむとか言う事の少ない社会です。相手を納得させるには”百万言”の言葉が必要なようです。勿論アメリカはDiversity社会でいろいろな意見があります。当方の地元の議員もToyotaの工場もある関係で、Toyotaを擁護しています。

しかし、当方の見る限りでは、一般のアメリカ人の感じ方は、本エントリーに書いたようになるものではないだろうか、というものです。
2010/03/22(月) 09:09:59 | URL | いちろう #-[ 編集]
Re: ジェントルマンシップ
いちろうさん、コメントを返してくださってありがとうございます。

自分の立場を説明し、相手にわかってもらうことは、とても重要です。
トヨタのリコール問題は、幸い良い方向で解決できそうでホットしていますが、これはラッキーだった要素が幾つも重なってのことです。

特に、今回起きたトラブルはメーカーでしたから、「対象が手にとって見え」ます。ブレーキとアクセルをどの様に踏んだか 履歴が分かるという点も、今後は、この手の「衆愚的ヤラセ」を強く抑止できるでしょう。こういうヤラセをしでかした人に、日本社会は大変に厳しいので、少なくとも今までの日本では起き難い事柄でした(アメリカ流がグローバルスタンダードと呼ばれて蔓延する中、今後は分かりませんが)。

いちろうさんに強調したいのは、このヤラセを行って報道されている人達もまた、いちろうさんの言う”一般のアメリカの人達”だった可能性が高い点です。

もし、運転履歴が残らない旧来の形式の車だったら、欠陥批判に応えるのは容易ではなかったはずです。議会でさらに叩かれたり、訴訟が一層勃発したりも避けられなかったでしょう。 2005年のウェンディーズ「指チリ事件」は、"火の無いところにも煙を立てられる"訴訟社会アメリカならではの脆弱性を良く示しています。犯人は9年の懲役で済む一方、ウェンディーズは倒産し、多くの従業員がリストラで職を失いました。日本からも撤退を余儀なくされています。

先の私のコメントは、豊田社長が議会公聴会で成したことの大きさに、当地に居られながらいちろうさんが余り良く気づいておられないのではないかと感じて一筆したためました。

「個」は「孤」に通じます。いちろうさんも、アメリカで働かれて、日本に居るのとはまた異なるご苦労も多々有ると思います。

それでも、中西部の田舎でアメリカ人に囲まれる中、十分な生活が成り立つのは、アメリカに進出した日本の自動車メーカーが多数有るということ、そして、いちろうさんは日本語が話せ、日本の文化に通じていることが評価されて職を得ている面が有ることを是非再認識していただきたいと思います。いちろうさんの「アメリカ生活が快適」なのは、そういう下駄の上に成立していることです。

アメリカにおられるからこそ感じ、そして見えることがたくさん有り、このサイトを立ち上げておられると思います。肌で感じる情報発信を引き続き楽しみにしています。
2010/03/23(火) 01:42:05 | URL | main #-[ 編集]
Re: Re: ジェントルマンシップ
mainさん、返信コメントありがとうございます。

当方は、今回の公聴会やアメリカメディアの出演で、アメリカ社会に豊田社長の「意図が明確に伝わった」かは懐疑的です。

当方の地元のケンタッキーのBeshear知事が、当該公聴会の後に地元のラジオ番組に出演して、感想を述べていました。言うまでも無くケンタッキーにはToyotaのメイン工場があり、当知事もToyota擁護派の急先鋒です。

その時の感想は、

① 自動車会社にはリコールが付きものなので、Toyotaには、そのルールに従って粛々と対処してくれる事を期待する。
② 豊田社長が地元を訪れてくれた事に感謝する(公聴会の次の日にケンタッキーの工場を訪れました)。

という事で、アメリカ人に付きものの、“公聴会のPerformanceはGood Job!”という事は言明しませんでした。擁護派急先鋒の知事でも、です。当知事は地元のToyotaの工場の幹部から事情説明を勿論受けており、その情報を元にコメントを出していたフシがあります。

即ち、公聴会の豊田社長のPerformanceから「意図が伝わった」とは思えません。

又、これを裏付ける様に、地元のラジオのアナウンサーとコメンテイターも公聴会の結果を辛口批評していました。メディアで言うと、当日夜のLarry KingショーのLarryでも、話がかみ合わなかったようですね。

又、公聴会で議員から出た、豊田社長への催促の“Yes, or no?”の発言が、がこのかみ合わなさを一番表しています。

その後続いているToyota車の“急加速問題“を、やらせだけで片付けるのかどうかは、当局とToyotaの調査を待たなければなりません。なにしろ地元ケンタッキー周辺だけでも、10件を越える”問題“が出ているようです。

又、訴訟に対しても、これはアメリカでの市民の当然の権利ですので真摯に対応しなければならないと思います。社会の‘脆弱性“だけでは片付けられない問題でしょう。

これら、コミュニケーション方法と文化の違いが、日本とアメリカでは大きく横たわっているのではなかろうか、というのが当方の論点です。
2010/03/23(火) 13:17:39 | URL | いちろう #-[ 編集]
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