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アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
親父の想い出--------国鉄の保線区員
歳をとると昔の事を良く思い出します。自分の事もですが、家族の事も。最近ひょっこり親父の事を思い出し書き留めました。









フクコーシチョー

親父は国鉄に定年まで勤めた国鉄マンで、仕事は豊肥線朝地地区の保線区員でした。昔は、今では考えられませんが、地方の人口も多かったのか、国鉄の人員余剰だったのかはわかりませんが、田舎の小さな駅単位で保線区の詰所があり、そこに通っていました。小さい頃は、そこに遊びに行っていた記憶もあります。

役職は副工師長だったようです。小さい頃は意味が分からずに単にフクコーシチョーと呼んでいましたが、後年その意味が分かりました。親父は朝地に、二反八畝の田んぼを持っており半農勤め人で、役職も低かったせいか、転勤も無くずっと朝地詰所に勤務していました。

国鉄もヒエラルキーのすごい所の様で、親父の上司の工師長に当たる方は、数年の単位の転勤で赴任してきていました。その方は駅の近くの官舎に住んでおり、我が家とは家族ぐるみの交流もありました。転勤での別れの時には、子供心にも別れの悲哀を感じたものでした。

ダイヤ表

国鉄関係者、特に線路保線関係者は汽車の通行時間を知ることが、安全のキーポイントとなります。「坪泉前(地名です)踏切に、汽車が通過する時刻は10:05分である。よって、その時刻の当該場所での作業時には、線路から退避するように」、等です。その汽車移動時刻と場所を表した二次元グラフが作られており、各保線区員に配布されていたようです。これをダイヤ表と呼んでいました。

これが我が家にも沢山あり------時刻表改定事に出版配布されていたのでしょう-------押し入れの中に積まれていました。私は小さいころどういう訳か、これを眺めるのが好きで、押し入れに入って終日眺めていたことを思い出します。昔の出版物で、白黒印刷で無機質な内容でしたが、飽きずに眺めていたことを思い出します。

後年、ダイヤモンド、赤いダイヤ等、ダイヤ関連用語をいくつか目にしましたが、この親父関連用語が懐かしいものです。

ゲートル

幼心に覚えているので、昭和30年代初め(1950年代半ば)でしょうか。親父の作業服ズボンは、裾をゲートルで巻き付けるものでした。出勤前に、せっせとゲートルをズボンの裾に巻き付けていたのを思い出します。これは昔の軍隊でよく見かけるものですが、国鉄も歴史が長いので似たような服装規定(?)があったのでしょうか。

ゲートルは、一体型のものもあるようですが、私の記憶にあるのはテープ状の巻き付けるタイプのものでした。

その後時代が進むと、ゲートルはなくなり作業ズボンの裾はヒラヒラするまま作業をしていたようです。私も就職後(昭和47年、1972年)工場勤務は長かったですが、ゲートルの経験はありません。ゲートルの無くなった経緯は何なんでしょうね。

“カーバイド”

保線区員のある面の存在感(?)を発揮したのは、台風等の災害時の出動の時でした。夜間でも呼び出しがかかり、準備に大わらわ。その中騒然とした中でも強烈に覚えているのが、“カーバイド”という照明器具です。実際はアセチレンガス照明器ですが、そのアセチレン発生源のカーバイドをとって、“カーバイド”と略称していたようです。カーバイドが水と反応して、アセチレンガスを発生させます。

まだ、懐中電灯が普及する前の時代だったのでしょうか。家の周囲も風と雨で騒然とする中、且つ、(おそらく)家も停電中で暗い中、その“カーバイド”を点火した時の強烈な明かるさとカーバイド燃焼の匂いが、記憶に残っています。五感を強烈に刺激した“カーバイド”なので、長く覚えているのでしょうね。



数年に一度田舎に帰省しますが、昔は詰所や官舎が並び、親父達国鉄関係者もたくさん行き来して活気があったんだなあ、と寂れた朝地駅周辺で思いを馳せます。








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この記事へのコメント
親父の想い出
明治の初期に朝地町上尾塚にある『蝙蝠の滝』から滝下に舟を滑らす大工事が行われ岡城辺りから蝙蝠の滝→沈堕の滝(舟乗り換え)→犬飼まで舟輸送が約10年続きましたが、急速に道路網インフラが整備されバスやトラック輸送が主流になり、舟輸送のメリットが無くなり中止されました。更に大正11年には緒方駅が開通し鉄道の時代へ、そして現在では自家用車が輸送・移動手段の主流となり鉄道が徐々に衰退していっています。時代の流れを感じます。
カーバイドの照明器具は白い石みたいなものを中に入れて水をいれると泡がでてきてそれに火をつけるものでしょうか? 朝地の親戚(農協の近く)の人がよくこれを使って川魚の夜釣りに行っていたのを思い出します。
2022/03/18(金) 16:25:14 | URL | 佐田健 #-[ 編集]
Re: 親父の想い出
昔の船運のための河川の工事については、海音寺潮五郎の“二本の銀杏“という小説にありますね。これは薩摩の幕末の頃の話です。よく幕末や、明治の初期にこんな工事ができたものかと感心します。佐田さんの“集落史“の中の水路建設もそうですね。昔の技術には感服です。

今から見ると(時々田舎に帰った時に見ると)川も護岸工事等で衰退しているのか、よくこんな所を船で通っていたな、と思います。

カーバイドはご指摘の通りです。この匂いが独特で、これを嗅ぐと“さあ有事だ“と高揚感が出てきたものです。夜釣りにも使っていましたね。
2022/03/19(土) 04:24:09 | URL | indianaky #-[ 編集]
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