アメリカ中西部での生活、仕事、英語、スポーツ、文化に関する草の根評論
アメリカにおける責任の捕らえ方―――「世間教」が支配する日本
前回の無差別発砲事件を通してアメリカのこの個人責任の捉え方を見ていると、日本のそれと大きな違いを感じます。即ち日本は「世間」という存在が常に付きまといます。個人社会アメリカはこの「世間」と云う考えが最初から欠落しています。

学生スポーツの不祥事で

日本では高校野球や大学スポーツで学生が不祥事を起こすと、学校自体にはなんら法的な落ち度が無い時でも校長学長がお詫びの会見を開きます。更に対外活動部活動自体を自粛します。

それぞれの罪は、未成年者であれ成年者であれ法律にのっとって処理します。しかし、ここには法以前に一つの「世間」と云うムラ社会に相当するものがあり、「それの調和を乱した、よってごめんなさい」というものです。

アメリカでも有名スポーツ大学の部員による不祥事は良くあります。近くのFootballで有名なLouisville大学でも部員の殺人事件(こちらは銃社会で被害は大きい)が発生していました。

しかしこれに関しては大学側の陳謝会見は無いようです。又当然部の活動自粛などというものは考えられません。

これは、部員という個人が法を犯した。その償いは当然法にのっとって個人が行う、というものです。ここにはいわゆる「世間」というものはありません。あるのは個人と社会に対する契約(法)のみです。

アメリカでは刑務所から会社出勤する人が!

こちらでは会社の従業員が刑務所から出勤するという事がたまにあります。ある従業員がある事件で捕まり収監されます。会社としては雇用契約にある内容(会社に損害を与える等)以外の逮捕理由(家庭内暴力、社外トラブル)であれば、勿論解雇できません。もし解雇すると、就業の機会を奪うという事で会社はその従業員から訴えられます。

又「世間」の無い、個人と社会契約のみのアメリカでは「周りの目」も無ければ「世間をお騒がせしました」とのお詫びの考えも無く、当人は平然と会社に出てきて仕事をし、周りもいつものように受け入れます。

よって警察検察の処置が終わるまで刑務所暮らし。警察検察も便宜を図り夜間のみの収監、昼間は臨時保釈を行い、刑務所から会社に出勤してくるというものです。

女性スキャンダル知事も、縁故採用知事も職務はまっとう

政治家の公にされた不祥事も、且つ訴訟中の不祥事もいわゆる「世間をお騒がせしました」で陳謝辞任ということはまず皆無です。

Kentuckyの前の知事のPatton氏は在任中に女性スキャンダルが発覚。最初はもみ消そうとしていましたが動かぬ証拠を突きつけられて認めました。しかし「それは個人の問題」ということで回りの批判をはねつけ知事の職務はまっとう。任期最後までやって次の知事にバトンを渡しました。

現在の知事のFletcher氏は共和党から立候補して当選。知事のスタッフ採用の時に(アメリカは公務員官僚なるものが無くスタッフは都度採用)共和党縁故の人達を採用した、との事で裁判沙汰になっています。これも裁判は裁判、知事職務は職務と云う事で仕事を続けています。

両者とも問題の時の記者会見は行いましたが、当然ながらいわゆる「世間をお騒がせしました」の陳謝コメントは一切有りませんでした。

Patton氏の女性問題の時も「倫理的に問題かもしれないがそれは個人の問題で、知事の職務には関係ない」と云う事で当人は押し切り、周りもそこまで追及しませんでした。

しかし、スキャンダル発覚当初にもみ消しで嘘をついた事に関しては謝罪していました。個人の社会といえども嘘をつくということに関しては糾弾が厳しいようです。

いずれの場合も日本では、「当方に非は無いと確信していますが、世間をお騒がせしましたので辞任します(辞めます)」というケースが大部分ではないでしょうか。

その昔イザヤベンダサンが「日本教」なる言葉を造りましたが、同じ内容の事だと思います。草の根評論家は「世間教」とでも名付けましょうか。
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